2010年 07月 13日
僕はこの人に憧れて大学にいった。 同じ大学の文学部に入ればこの人のようになれる、と単純に思い込んで入学したのだが、到底この人のようにはなれないとすぐに判った。
つまり出来が違うのだった。
でも在学中に、この人が「日本の放浪芸」を取材して回っていることを知って、いかにもこの人らしい仕事をしているなと思った。 それは僕が卒業した1971年にLPとなって、画期的な仕事と高い評価を受けた。
それから40年、この人は少しも手を緩めることなく、八面六臂の活躍をしてきた。
今回は本人が語ったり、書いたり、聴いたりというのではなく、関わりの深い人たちがこの人を語り、書いている。 そこからには小沢翁の小沢翁らしい姿が多面的に示されていて、「小沢昭一研究」は成功している。
どこまでも深く濃く生きうるのか、凡人にはとてもなし得ぬ、ただあこがれの生がそこにはある。
ギャラリー坐韻 店主
www.antiques-sein.com
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つまり出来が違うのだった。
でも在学中に、この人が「日本の放浪芸」を取材して回っていることを知って、いかにもこの人らしい仕事をしているなと思った。 それは僕が卒業した1971年にLPとなって、画期的な仕事と高い評価を受けた。
それから40年、この人は少しも手を緩めることなく、八面六臂の活躍をしてきた。
今回は本人が語ったり、書いたり、聴いたりというのではなく、関わりの深い人たちがこの人を語り、書いている。 そこからには小沢翁の小沢翁らしい姿が多面的に示されていて、「小沢昭一研究」は成功している。
どこまでも深く濃く生きうるのか、凡人にはとてもなし得ぬ、ただあこがれの生がそこにはある。
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by seinhaus
| 2010-07-13 21:29
| 文学